辺野古沖の転覆事故で娘を亡くした父親の前に、同志社国際高校の側の弁護士が4人並び、交通事故の賠償基準に沿った書類が差し出されていました。

父親によれば、それは娘を偲ぶ会が開かれる前の日のこと。

この書類がネットで「ひどい」と言われているのは、学校が事故のことを自分でほとんど調べないうちに、娘の死をよくある交通事故の1件として扱う話から始めたからです。

書類に金額は書かれていませんでしたが、何を物差しにするつもりなのかは、それだけで伝わってしまったのでしょう。

偲ぶ会の前日に渡された賠償の書類

事故が起きたのは2026年3月16日の午前、沖縄県名護市の辺野古沖でした。

研修旅行で訪れていた同志社国際高校の生徒たちを乗せた小型船「平和丸」と「不屈」が相次いで転覆し、高校生18人を含む21人全員が海に投げ出されています。

この事故で、17歳だった武石知華さんと、「不屈」の船長の金井創氏が亡くなりました。

2隻は観光船ではなく、米軍基地の移設工事に反対する「ヘリ基地反対協議会」が、抗議活動に使っていた船。

 

父親ひとりの前に並んだ弁護士4人

父親が2026年9月26日公開のニューズウィーク日本版のインタビューで語ったところによると、学校側と個別に会ったのは、5月28日の偲ぶ会の前日でした。

部屋に入ると、学校側の弁護士が4人、父親の正面にずらりと座っていて、当時の西田喜久夫校長と事務方は部屋の隅にいたそうです。

弁護士たちは「今の時点でこういう話をするのはどうかと思いますが、今後の流れとして……」と前置きしたうえで、「民事交通事故訴訟 損害賠償額算定基準」という本に沿った事務的な考え方を、書類にして差し出しました。

前置きがあったとはいえ、話の入口がいきなりそれ。

父親は差し出された書類を見て唖然としたと振り返っています。

このとき、ご両親にはまだ代理人の弁護士がついていませんでした。

 

「机を蹴って出ていくレベル」の意味

父親はその場でサインをせず、事前に相談していた友人の弁護士から「とりあえず何を出されてもサインはしてはいけない。最初は“はい”とも“いいえ”とも言わずに受け取るだけでいい」と助言されていたとおり、書類だけを受け取って持ち帰ったといいます。

あとでその書類を見た友人は、これは法曹界で「赤本レベル」と呼ばれるもので、特殊な事情を一切考えない、一般的な交通事故の賠償基準だと説明しました。

そして「何も言わずに受け取れとは言ったけど、よく耐えたな。さすがに机を蹴って出ていくレベルだよ」と声をかけたそうです。

父親は、友人のそのひと言で「おかしいと思った自分たちは正しかったんだな」と確信したと語っています。

交通事故の物差し「赤い本」の中身

「民事交通事故訴訟 損害賠償額算定基準」は、表紙が赤いことから、法律の世界で「赤い本」や「赤本」と呼ばれている本です。

交通事故の裁判で、慰謝料や、生きていれば稼げたはずの将来の収入をいくらと見るかの目安が、年齢や立場ごとに細かく載っています。

 

「特殊な事情を一切考慮しない」の重さ

赤い本の相場には、学校が生徒の安全を預かる立場だったことも、抗議活動に使われていた船に生徒を乗せたことも、事前に現地を見に行く下見をしていなかったことも入ってきません。

生徒の命を預かる学校が引率した研修旅行の事故も、道で車どうしがぶつかった事故も、同じ表で測ることになるのです。

 

値切りよりも重い意味

交通事故の賠償額には、保険会社が示す金額と裁判所が認める金額があり、赤い本に載っているのは、実は高くなりやすい裁判所の相場です。

それでも父親が唖然としたのは、なぜなのでしょうか。

学校側が見せたのは、裁判になっても、ふつうの交通事故の相場で終わるという見通しでした。

学校が何を間違えたのかは、その数字が並ぶ表のどこにも出てこないのです。

調べる前に出された賠償の話

のちに刑事告訴に踏み切る父親も、このときまでは、学校の刑事責任を問うことにためらいがあったといいます。

知華さんが好きだった学校だから、という思いから。

胸の中にあったそのためらいが消え、学校への信頼はこの日を境に一気に冷え込みました。

学校が自分たちの調査結果や責任の所在を話す前に、和解へ持ち込みたいという話を先にしてきたことに、どうしても納得がいかなかったのです。

学校法人同志社は、事故の翌日に謝罪を公表し、12日後には外部の弁護士による特別調査委員会を置いていましたが、その報告書が出たのは7月31日です。

賠償の書類が出てきた5月27日の時点では、学校自身の調査の答えは、まだどこにもなかったはずです。

同じインタビューの後半では母親も、学校が次のようなデータさえ持っていなかったと話しています。

  • 誰がどの船に乗っていたか
  • 誰がどう動いたか
  • どの程度けがをしたか

そのうえで、自分たちで調べた情報もないのに、賠償の話だけは早々に進めた、と。

2か月後に出た報告書は、「学校法人同志社には明らかに安全配慮義務違反があり」と書き、次の3つに反していたと指摘しました。

  • 事前に調べる義務
  • 安全な計画を立てて実行する義務
  • 生徒と保護者に説明する義務

報告書の最後は「大きな『想像力の欠如』があった」「猛省しなければならない」と結んでいます。

 

赤い本の表には入らない学校の落ち度を、学校が自分で頼んだ調査が認めたわけです。

調べもしないうちに、相場の書類から話を始める。

誠意ある対応を望む遺族の側から見れば、ひどいとしか言いようのない順番だと、私も思います。

西田校長の「申し訳ございません」が何度くり返されても響かないのも、何が間違っていたのかが、その言葉のどこにも入っていないからなのでしょう。

学校への不信が積み重なった半年

5月の書類は、ある日いきなり出てきたわけではありません。

ご両親が首をかしげる出来事は、その前にもあとにも続いていました。

  • 事故の前に学校がしていなかったこと
  • 事故のあとにご両親へ伝えていなかったこと
  • 説明の場で答えなかったこと

 

下見なしで抗議船に乗せた研修旅行

同志社国際高校が研修旅行でこの船に生徒を乗せはじめたのは、2023年3月から。

研修旅行の初日に礼拝をお願いしていた牧師で、「不屈」の船長でもあった金井氏から提案があり、校内で検討してコース別の学習に組み込みました。

雨で中止になった年をはさんで、事故が起きた回が3回目の乗船でしたが、報告書は「最も肝心な下見は行われず」、その後も一度も現地の下見はなかったと書いています。

学校が確かめていたのは、次のようなことくらい。

  • 船長が操縦すること
  • 船舶免許
  • 定員
  • 救命胴衣があること

抗議活動の船かどうかや、お客を乗せて船を出すための事業の登録があるかまでは、調べていないまま。

 

事故の日、名護市には波浪注意報が出ていましたが、担当の教諭は注意報の有無を確認していません。

安全管理の基本も怠り、引率の教員も船には乗っていなかったので、海の上で何が起きたのかを、学校の人間は誰も見ていないのです。

文部科学省は2026年5月22日、研修旅行の計画と安全管理を「著しく不適切」とし、辺野古をめぐる学習についても、政治的な活動を禁じた教育基本法に反すると判断しました。

7月には、海上保安庁が業務上過失致死などの疑いで同志社国際高校を家宅捜索しています。

コースの目的が、保護者向けと生徒向けの案内で違っていたのではないかという指摘も、事故の直後から出ていました。

同志社国際高校「辺野古メール」が暴いた矛盾をわかりやすく解説

 

報告書が出るまで知らされなかったこと

2025年11月、研修旅行のコースの希望を出し直す機会があり、知華さんを含む51人の生徒が、辺野古のボートのコースから別のコースへの変更を希望しました。

変更できたのは抽選に当たった14人だけで、知華さんは抽選に外れ、辺野古のボートのコースに残っていたのです。

ご両親がこのことを知ったのは、7月31日の報告書を読んだとき。

ご両親が説明を求めても、それまで学校が質問に答えなかった理由は、「第三者の弁護士たちによる調査があるから」というものでした。

ところが、その報告書が出たあとも、中身について学校から改めての説明はなかったと母親は話しています。

 

校長が退席した8月の説明会

学校法人同志社は2026年8月25日に理事長の辞任の意向と校長の交代を発表し、その5日後の8月30日には、同志社国際高校で保護者向けの説明会が開かれました。

その日、先に行われた、船に乗った生徒の保護者だけの会では、8月31日まで任期があったはずの西田校長が、冒頭のあいさつだけで退席しています。

母親が理由を尋ねて返ってきたのは、「個人でつけている弁護士に止められているから出られない」という答え。

そのあとの保護者全体への説明会も、事前に集めた質問を読み上げて答えるだけの一方的な報告で、オンラインで参加した父親は、画面越しにチャットも発言もできないまま聞いているしかありませんでした。

批判が高まるなか、学校法人同志社は9月1日に安全管理室を設け、同じ9月に着任した宿久洋校長は、乗船した生徒の保護者から1対1で話を聞きはじめたといいます。

月命日にお墓参りに来た新校長は、ご両親が7月30日に開いた記者会見で公開した、生徒が船の上で撮っていた映像の元データを見て、「初めて見た」と話したそうです。

ご両親はこの動きを、学校が自分から動く最初の一歩として受け止めています。

学校のいまのトップが事故の映像に初めて向き合ったのは、あの賠償の書類から4か月もあとのこと。

両親が刑事告訴に踏み切った理由

ご両親は、校長や学年主任、引率の教員ら学校関係者4人と、船を運航していたヘリ基地反対協議会の共同代表ら7人の、あわせて11人を、業務上過失致死傷などの疑いで海上保安庁に刑事告訴しました。

真相究明のために5月末に出会った弁護士と一緒につくった告訴状で、海保から受理の連絡があったのは2026年7月13日のこと。

 

民事で取れるのはお金だけ

事故のあと、ご両親はたくさんの弁護士に会いました。

そこで何度も聞かされたのは、学校関係者の刑事責任を問うのは難しいこと、そして民事の裁判なら「取れるのはお金だけですよ」ということばかり。

刑事と民事の違いさえ知らなかったご両親にとって、それは弁護士に会って帰るたびに泣いてしまうほどの現実だったといいます。

娘を失った悲しみのなかで、学校が面と向かって最初に差し出してきたのが「お金の話」だったことが、よけいに重く響いたのでしょう。

告訴は、責任の所在をはっきりさせることが、原因の究明と再発防止につながるという思いから決めたものでした。

 

ご両親が望んでいること

2026年9月13日の沖縄県知事選で選ばれた新しい知事も、原因究明と再発防止に県として協力し、安全な修学旅行のためのガイドラインを作りたいと話しています。

ご両親はそれを「ぜひ作ってほしい」と受け止め、沖縄県議会の特別委員会で証言が必要なら出席するつもりだと話しています。

学校の活動の中で、同じような事故をもう繰り返してほしくない。

知華さんは、サマースクールで宇宙の講義に夢中になり、将来はJAXAやNASAで働きたいと話していたそうです。

ご両親は「知華は教訓を残すために生まれてきたわけではない」とも語っています。

学校が交通事故の相場の表で測ろうとしたのは、そんな夢を持っていた17歳の娘さんの命でした。

亡くなった武石知華さんのご冥福を、心からお祈りいたします。