福島県の猪苗代湖で起きたボート事故の裁判で、最高裁が2026年10月16日、二審の無罪をひっくり返しました。

8歳の男の子が亡くなってから、6年あまりがたっています。

ニュースを見て「やっと」と思ったのと同時に、「そもそも、どうして二審は無罪だったの?」と引っかかった人も多いのではないでしょうか。

そして逆転したいまも、「刑が軽すぎる」「事故のあとのふるまいが許せない」という声は止まりません。

最高裁が二審の無罪を取り消した

事故が起きたのは、2020年9月6日のこと。

場所は福島県会津若松市にある猪苗代湖の、中田浜という浜の沖でした。

家族連れが水上レジャーの順番を待っていたときのことです。

全員がライフジャケットを着て湖面に浮かんでいたところへ、プレジャーボート(遊びに使う小型のモーターボート)が近づき、親子は船の後ろで回っていたプロペラに巻き込まれました。

当時8歳だった男の子が命を落とし、母親は両脚を失う大けがを、一緒にいた知人の男の子も重いけがを負いました。

 

ボートを操縦していたのは、元会社役員の男。

問われてきたのは業務上過失致死傷の罪、つまり仕事や日常で求められる注意を怠って、人を死なせたりけがをさせたりした罪です。

一審、二審、最高裁と、結論は2度ひっくり返っています。

  • 2023年3月 一審の福島地裁が禁錮2年の実刑(検察が求めた刑は禁錮3年6月)
  • 2024年12月 二審の仙台高裁が逆転無罪
  • 2026年9月18日 最高裁で検察と弁護側が意見を述べる弁論
  • 2026年10月16日 最高裁が二審を取り消し、禁錮2年の実刑が確定へ

禁錮は、刑務所に入るものの、懲役のような作業は義務にならない刑のことです。

審理した最高裁の裁判官4人は、全員が同じ意見でした。

刑が確定すれば、男は刑務所に入ることになります。

二審が無罪にした2つの理由

裁判で争われたのは、湖に人が浮かんでいるかもしれないと考えるべき場所だったのか、そしてきちんと前を見ていれば親子を見つけてよけられたのか、の2つです。

二審は、どちらにも「そうとは言い切れない」と答えました。

遊泳禁止の場所に人がいるとは思いにくい

事故が起きたあたりは、泳ぐことが禁じられた区域。

二審は、そこに人がいる可能性はあったとしつつも、目印もなく、ほとんど動かずに浮かんでいる人まで想定するのは難しかったと判断しています。

 

マネキンの実験は条件が違う

一審が有罪の根拠の中心にしたのは、警察が事故のあとに湖でおこなった実験でした。

湖面にマネキンを浮かべ、男自身がボートから確認したところ、約223メートル手前から見えたのです。

これに対して二審は、マネキンは人よりも水面から高く浮くなど、実験の条件が男に不当に不利だったとして、同じ距離で親子が見えたとは言えないとしました。

二審の無罪には当時から怒りの声が上がっていて、今回の判決のあとにも、こう振り返る人がいます。

では、マネキンは人より高く浮くので同じ距離では見えなかったかもしれない、という二審の言い分を、最高裁はどう判断したのでしょうか。

最高裁が見た決め手

最高裁はまず、一審は実験の結果だけでなく、ほかの事実も積み重ねたうえで有罪にしていた、と判決文にはっきり書いています。

そのうえで、一審が積み重ねた事実を1つずつ確かめ直しました。

見えた物は「人かもしれない」と確かめる

遊泳禁止の区域だったという点について、最高裁は二審の考え方を採っていません。

当時は区域の線引きがはっきり伝わっておらず、同じ湾では水上バイクや遊具を引く船も行き来していました。

一審はそこから、人が浮かんでいてもおかしくない水域だと見ていたのです。

最高裁はこの判断を正しいとしたうえで、そういう場所なら浮いている物が目に入った時点で、それが人ではないかを確かめる義務があると言い切りました。

 

止まっていたボートからは見えていた

次にマネキンの実験ですが、一審は「この1か所から確実に見えた」とは言っておらず、湖を進むあいだのどこかで見えたはずだと考えていた、と最高裁は整理しています。

事故の前、男のボートはマネキンが見えた地点のあたりを通ったあと、湖の上で一度止まっていました。

止まっているあいだは船首が持ち上がらないので、親子のいた方向はほぼ見渡せる状態。

そして、そのとき船の上で撮られた映像には、水面に浮かぶ親子とみられるものが映っていたのです。

マネキンが見えた地点から事故の現場までは、再現したときに1分以上かかっています。

そのうち、ボートが加速して船首が持ち上がり、前が見えにくくなるまでのあいだだけでも、親子を見つけられる時間は数十秒以上ありました。

 

同じ入り江を出たボートは気づいていた

決め手のひとつになったのが、男の知人が操縦していた別のボートです。

このボートは、男のボートに続いて同じ入り江(湖岸のくぼんだ船着き場)から出て、ほぼ同じように湖へ向かっていましたが、親子を見つけて人だと確かめ、ぶつからないようによけていました。

同じ道を通ったボートに見えたのなら、男にも見えたはず。

最高裁は、そう判断しています。

 

二審は場面をばらばらにして見ていた

二審は、ボートの通った道すじを、同乗者が持っていた2台のスマホの位置の記録をつなぎ合わせて推し量っていました。

ところが2台の記録は同じ時刻でもかなりずれていて、最高裁はこのつなぎ合わせを「論理則に反し、是認できない」、つまり筋道として成り立たないとまで書いています。

二審は、マネキンが見えた地点、ボートが止まった地点と、場面を1つずつばらばらに取り出して、「この時点では見えなかったかもしれない」と言うにとどまっていました。

最高裁は、それでは一審の判断のどこがおかしいのかを示したことにならないと退け、最後に二審を取り消さなければ「著しく正義に反する」と結んでいます。

 

高裁が一審をくつがえすときのルール

一審は、証人の話を直接聞き、証拠を目の前で調べたうえで結論を出しています。

だから高裁が一審をくつがえすには、その判断のどこが筋道や常識に照らしておかしいのかを、具体的に示さなければなりません。

高裁が一審をくつがえすときのこの決まりは、最高裁が2012年の別の裁判ではっきり示したものです。

映像や知人のボートは、一審の判断に筋が通っていたことを示す材料でした。

 

家族で水辺に出かける人にとっても

判決文は、小型船舶の船長には、走っているあいだまわりをぐるりと見張る義務があることにも触れています。

湖では、水上レジャーの順番を待つ家族も、浮き輪で遊ぶ子どもも、ボートのすぐそばにいます。

遊泳禁止の区域でも、人がいてもおかしくない場所なら、見張って確かめる責任はボートを操縦する側にある、と今回の判決は示しています。

「よかった」と「甘すぎる」に割れた声

判決のニュースが流れた16日の午後から、ネットにはほっとした声と、刑の軽さへの不満や男のふるまいへの怒りの声が入り混じっています。

まずは「やっと」

「やっと」「よかった」という言葉と一緒に、6年間闘ってきた遺族へのねぎらいの言葉も上がっています。

「車にたとえたら、運転手から歩行者がよく見えなかったから無罪になるのか」と、二審の無罪判決そのものに首をかしげる人もいます。

 

それでも禁錮2年は軽い

逆転したとはいえ、刑の重さに納得できない人も少なくありません。

業務上過失致死傷の罪は、わざとではない事故を裁く罪で、刑の上限は5年。

それでも、子どもの命と、母親の両脚と、6年という時間を思えば、2年が軽く感じられるのは当然のことです。

 

事故のあとのふるまいへの怒り

そして、いちばん許せないという声が集まっているのが、事故のあとの男のふるまいです。

事故の翌年に琵琶湖でボートを走らせる写真や、裁判の最中に友人と食事をする写真を、週刊誌が報じてきました。

 

ただ、いま出回っている投稿の中には、「男が同乗者に『何も無かったよな』と口止めした」という話もあり、これは確かめられていません。

もとになった2021年の記事を配信した共同通信が、2023年5月に「口止めの事実は確認されていない」としておわびを出しています。

口止めの話に頼らなくても、見張っていれば気づけた親子に気づかなかったことは、最高裁がはっきり認めました。

判決の日に両親が語ったこと

判決を、亡くなった男の子の両親は最高裁の傍聴席で聞いていました。

終わったあとの取材に、母親はこう話しています。

  • 正直6年と長かったので、諦めかけたりとか不信感だったりとか本当に嫌になる時期とかたくさんあって
  • それでも乗り越えてきてきょうの結果だったので本当に良かった
  • 区切りになるなという風に思えています

報道によると、遺族は二審の無罪で「どん底」に落とされ、「何も信じられなくなった」とまで振り返っています。

男の側の弁護士は「非常に厳しい判決だった」と話し、異議を申し立てるかどうかは、これから検討するとしています。

ただ、最高裁の判決に残された手続きは、判決の中の誤りを正すよう求める「判決訂正の申し立て」だけ。

禁錮2年の実刑は、ほぼ確定したといえます。

両親が男などに損害賠償を求めている民事の裁判は、まだ福島地裁で続いています。

 

この6年、男は裁判で「人は見えなかった」と言い続けてきました。

その言い分が最高裁で通らなかったことに、少しだけ救われた思いがします。

両親が、息子さんを思う時間を少しでも取り戻せますように。

亡くなった8歳の男の子の冥福を、心から祈っています。