木原龍一と高橋成美の解散理由は? 不仲説やどっちから切り出したか調査!
2026年ミラノ・コルティナ五輪で金メダルを獲得したりくりゅうペアの快挙に、日本中が沸きました。
その中継で号泣しながら解説していた高橋成美さんの姿が、大きな話題になりました。
「りくりゅう、本当にありがとう!」と涙声で語るその姿は、多くの視聴者の胸を打ったのではないでしょうか。
その光景を見ながら、かつてのペア時代を思い浮かべた人も少なくないはずです。
2015年、結成から約2年で解消されたこのペアには、公式発表では語られなかったいくつもの背景が隠されています。
不仲の噂、怪我の影響、それとも別の要因か。
ここではその経緯を振り返ってみたいと思います。
木原龍一と高橋成美がペア解消した理由は?
2015年3月31日、日本スケート連盟から一本のリリースが届きました。
内容は木原龍一選手と高橋成美選手のペア解消、という短い知らせです。
そして伊東秀仁フィギュア委員長が記者たちに向けて放った言葉が、「理由は分からない」というひと言でした。
連盟トップが理由を知らないと公言するのは珍しいことですが、両選手のコメントも穏やかなものでした。
高橋さんは「一日も早く国際大会で戦っていけるよう一層練習に励んでいきたい」、木原選手は「2年前にシングルから転向して以来、高橋選手はいろいろと教えてくれて感謝の気持ちでいっぱい」と語っています。
感謝はしている、でも理由は言わない——まるで円満な別れを思わせる雰囲気だったと言えるでしょう。
時系列を振り返ると、背景が見えてきます。
2015年の世界選手権で、このペアはSP19位という成績を残し、フリーへの進出すら叶いませんでした。
つまり、最下位圏でシーズンを終えたわけです。
平昌五輪まで3年を切ったタイミングで、連盟側が「時間がないから早急に動く」と判断した可能性もあります。
競技の世界では、感情より現実的な判断が優先されることが多いものです。
当時、木原選手は22歳、高橋さんは23歳というスケート選手としてはまだ若い年齢でした。
しかしペアというシビアな競技においては、若さがそのまま経験不足に直結してしまうこともあります。
高橋さん自身も後にこう語っています。
「勝ち負けより演技の質、とかいっても、結局は成績に追われる。その生活に正直疲れた気持ちはありました」と。
この言葉から、当時の苦しみがひしひしと伝わってくるようです。
若くして頂点を目指し続けることの重さを、改めて感じさせられます。
不仲で解散? 木原龍一と高橋成美に溝ができた原因
解散発表直後から、ファンの間でじわじわと広がっていったのが「不仲説」でした。
根拠として挙げられたのが、キス&クライでのよそよそしい雰囲気や、テレビでの二人の距離感です。
あのシーンが冷たいと感じたファンが多く、ブログやYahoo!知恵袋には様々な憶測が飛び交いました。
しかし、試合の出来が悪ければ、誰でもキス&クライの空気が重くなるものです。
成績が振るわない後のキス&クライで、笑顔を保つのは難しい——これはスケートに限らず、あらゆるスポーツで言えることではないでしょうか。
とはいえ、二人の間に溝が生じた可能性は否定できません。
その溝の主な原因は、経験値の差だったようです。
高橋成美さんは、マーヴィン・トラン選手とのペアで2012年世界選手権銅メダルを獲得した、日本ペア界のレジェンドです。
対する木原選手は、男子シングルから転向したばかりのペア初心者でした。
結成から1年でソチ五輪に出場したのは奇跡的でしたが、土台となる技術の蓄積という意味では、二人の間に大きな差があったことは否めません。
高橋さんにとって、トラン選手との過去が比較対象となり、プレッシャーになったのでしょう。
さらに、怪我が追い打ちをかけました。
高橋さんは以前から左反復性肩関節脱臼と右膝の手術を抱え、これがトラン選手との解消にも影響していました。
木原選手とのペアでも、怪我の影響が続いています。
2014-2015シーズン、四大陸選手権直前にツイストリフト練習で木原選手が脳震盪を負いました。
一人が休めば、ペアの練習全体が止まります。
ペアとはそういう競技で、どちらかが欠けた瞬間に歯車全体が止まってしまうのです。
こうした継続の困難さが、二人の間に亀裂を生んだのでしょう。
不仲というより、積み重なった物理的・精神的な負担が、じわじわと関係を変えていったのかもしれません。
解散は木原龍一の優しさ?
ここで視点を変えてみると、解散は不仲ではなく、互いの未来を思った戦略的な決断だったのかもしれません。
高橋さんはトラン選手との解消時、「自分のせいで相手の夢を阻むわけにはいかない」と考えていました。
持病を抱え、パートナーに負担をかける罪悪感を、高橋さんは強く感じていたのです。
同じような思いが、木原選手との解消にもあったのでしょう。
木原選手の側では、こんな思いがあったのかもしれません。
高橋さんの肩と膝は万全ではなかった。
高度な技術を求めるほど、彼女への負荷が増す。
それでも続けることが、彼女のためになるのか、と。
結成時、木原選手は「成ちゃんとペアがやりたいんだ」と言っていました。
だからこそ、その人を傷つける可能性のある選択を続けることへの葛藤は、相当に深かったのではないかと思います。
正直、こういう優しさの形は、なかなか外からは見えにくいものです。
解散後、二人はそれぞれ別の道を歩みます。
木原選手は須崎海羽選手とペアを組み、その後2019年から三浦璃来選手と「りくりゅう」ペアを結成しました。
そして2026年のミラノ五輪で、見事に金メダルを掴んだのです。
一方、高橋さんはロシア人のアレクサンドル・ザボエフ選手とペアを組みましたが資金難で解消し、2018年に引退しています。
現在は解説者として活躍し、JOC評議員としてペア普及にも尽力されています。
ミラノに到着しました!!
フィギュアスケート⛸️ペア競技の解説を務めさせていただきます!#ミラノ・コルティナオリンピック 全力応援! pic.twitter.com/F4jWRHXKY4— 高橋成美 OLY (@NarumiTakahash4) February 4, 2026
そのミラノ五輪の中継で、高橋さんが号泣しながら発した言葉が「りくりゅう、本当にありがとう!」でした。
「一緒に滑ってくれてありがとうという気持ちと、応援させてくれてほんとにうれしい」と続けたその言葉は、木原選手への思いも含まれていたはずです。
苦しかった2年間があって、その後の長い道のりがあって、最終的にこんな形で再会できるとは——人生はなかなか深い脚本を書くものだと感じさせられます。
どっちから言った?
気になるのは、解散をどちらが切り出したのかという点です。
スケートファンの間で長く語られてきた疑問に、ある程度の答えがあります。
当時のファンコミュニティやYahoo!知恵袋では、「木原選手から解消を申し出た」という情報が複数出回っていました。
高橋さんの公式ブログ(当時の共同ブログ「成&龍 Happy Diary」)には、「次の五輪まで二人で続けていくつもりだったが、数週間前木原選手の方から解散したいという話をされた」との記述があり、これが有力な根拠となっています。
これは「別れを告げた側が悪い」という単純な話ではありません。
むしろ、ペアの成り立ちを考えると、木原選手が切り出したことには納得できる部分があります。
このペアは、もともと高橋さんが木原選手を誘い、トライアウトを経て結成したもの。
高橋さんが主導したペアでした。
高橋さんが「私ですね」と振り返るように、主導権は最初から高橋さんにあったのです。
そのバランスの中で、経験の浅い木原選手が限界を感じ、自ら身を引く選択をしたとすれば、それは誠実な決断だったと言えるでしょう。
高橋さんにとって、この知らせはどれほどつらかったか。
自分が誘い、信じ、引っ張ってきたペアが、相手から終わりを告げられる——その痛みは想像するだけで胸が締めつけられます。
後に高橋さんは、木原選手が三浦璃来さんと活躍する姿を見て、「以前組んでいた人が他の人と組んで上手くなると、自分に何かが足りなかったのかなと思ってしまう」と語っています。
これは未練や後悔の色が混じっているように感じます。
それでも「りくりゅうペアは純粋にペアとしての感動をくれる。そっからはもう沼」と言い切れる高橋さんは、本当にペアスケートを愛しているのだと思います。
今も木原選手は高橋さんのことを「なるちゃん」と呼んでいます。
かつてのパートナーを今も「なるちゃん」と呼べる関係は、根底に信頼が残っている証ではないでしょうか。
解散に複雑な事情があったとしても、二人の間にあった絆がすべて消えたわけではないのです。
フィギュアのペアは、ある意味で恋愛に似ています。
相手の手を取り、体を預け、目を合わせ、息を合わせる。
うまくいっているときは世界で一番美しい時間ですが、ずれが生じると、その差は演技に如実に表れます。
木原龍一と高橋成美のペアは、わずか2年という短い期間に、苦しみも輝きも詰め込みました。
解散は終わりではなく、それぞれの新しい始まりへの扉だったと、今なら素直に思えます。
金メダリストと号泣する解説者が、かつて同じリンクで手をつないでいたという事実。
それだけで、このペアの物語は十分に豊かだと思います。
