2026年2月18日、イタリアの雪山で19歳の少女が世界の頂点に立ちました。

スノーボード・スロープスタイルで87.83点をたたき出し、冬季日本女子史上最年少となる19歳48日で金メダルを獲得した深田茉莉選手です。

「13歳からスノーボードを本格的に始めた」と聞くと、スポーツの世界では「遅咲き」とも言われる年齢からのスタート。

それからわずか6年で、世界一の称号を手にしたわけです。

でも、この奇跡のような物語には、茉莉選手ひとりの努力だけでは語りきれない「もうひとつの主役たち」がいます。

それが、愛知県みよし市に暮らす深田家の6人家族です。

雪がほとんど降らない平野部の街から、毎週末2時間かけて岐阜のスキー場へ向かった一家。

金メダルを支えたのは、ゲレンデでの練習だけでなく、家族が刻んできた「走行距離」だったのかもしれません。

今回は、深田茉莉選手の家族構成をはじめ、父・範生さんと母・美帆さんの人柄やエピソード、双子の兄・渚さんと姉・遥さん、そして5歳下の弟まで、6人家族のそれぞれの役割と絆を徹底的に掘り下げます。

深田茉莉の家族構成は?

深田茉莉選手の家族を一言で表すなら、「スノーボード一家」という言葉がぴったりでしょう。

総勢6人。

  • 父・範生さん(57歳)
  • 母・美帆さん(52歳)
  • 3歳上の双子の兄・渚さんと姉・遥さん(ともに22歳)
  • 本人・茉莉選手(19歳)
  • そして5歳下の弟(14歳)

という構成です。

4人きょうだいの中で、茉莉選手は3番目.

双子の兄姉の次で、弟より上という「賑やか一家の中間管理職」ポジションとでも言いましょうか。

上にも下にも刺激し合えるきょうだいがいる環境が、「負けず嫌い」で「きょうだい思い」という茉莉選手の性格を形成した、と本人も語っています。

愛知県みよし市は、スキー場とは縁遠い平野部の街です。

「じゃあ、どうやってスノーボードを?」と首をかしげる方も多いでしょう。

答えはシンプルで、毎週末、家族全員で2時間以上かけて岐阜のスキー場まで車を走らせていたのです。

ダイナランド、高鷲スノーパーク、ひるがの高原スノーリゾート……これらの名前を聞いてピンとくる方なら、「あの山道を毎週!?」と驚くかもしれません。

きっかけは「山が好きでスキーをたしなむ」両親の趣味でした。

子供たちを連れて雪山に通ううちに、きょうだい全員がスノーボードの虜になっていった。

気づけば家族全員がゲレンデに立つ「雪山一家」の誕生です。

金メダリストが生まれる家庭というのは、どこかで「好き」という気持ちを大切にする文化があるものなのかもしれません。

そして、Red Bullのインタビューで茉莉選手本人がこう語っています。

「お兄ちゃんとお姉ちゃんが滑っていて、楽しそうだなと思ったのが最初です。スノーボードが身近な存在だったので、自分も自然と始めていました。」

競技の原点が「楽しそう」という純粋な憧れだったというのが、なんとも微笑ましいですよね。

みよし市では今、「北部小学校出身の誇り」として家族ぐるみで祝福ムードが広がっているそうです。

19歳で金メダルを獲得した背景

スノーボードの世界では、子供のうちから競技を始める選手がほとんどです。

5歳、6歳からゲレンデに立ち、10代前半には大会デビューというケースも珍しくありません。

そんな業界の常識を、茉莉選手は軽々と覆してみせました。

本格的に競技を意識し始めたのは13歳。

スポーツの世界で言えば、多くの競技でジュニアの中核を担う年齢が「スタート地点」だったわけですから、周囲からすれば「今から世界を目指すの?」と思われても不思議はありません。

転機となったのは、岐阜の練習施設での偶然の出会いです。

佐藤康弘コーチ——中国スノーボード界に数々の金メダリストを輩出した、業界屈指の指導者との出会いでした。

たった30分のレッスンを受けただけで、ジャンプの高さが劇的に変わった。

それを目の当たりにした両親は即断します。

「この人に教えてもらうしかない」と。

この「即断」というのが、深田家の大きな特徴だと思います。

悩んで時間を使うのではなく、才能が開花する瞬間を見逃さず、すぐに動く——その行動力が、後の金メダルへと直結したのではないでしょうか。

その一言から、愛知みよし市と埼玉を結ぶ「家族の大移動」が始まりました。

毎週末、片道約2時間の高速道路を往復する日々。

何週間も、何ヶ月も、何年も。

その「走行距離」が積み重なった先に、オリンピックの金メダルがあったのです。

金メダル獲得後、茉莉選手はこう語っています。

「家族の支えがあった。自分がやってきたことは体に染みついている。」

この言葉は、単なる感謝のコメントではなく、6年間の重みそのものではないでしょうか。

さらに、急な日程変更にもかかわらず家族全員がイタリアまで現地応援に駆けつけたというエピソードも話題になりました。

本人が「急な感じでも見に来てくれるのはすごくうれしい」と目を細めたこの場面、正直、読んでいるこちらまでじんとしてしまいます。

父と母が即決した埼玉移住

13歳でコーチと出会い、毎週末の長距離移動が始まった後、深田家はさらに大きな決断に迫られます。

中高一貫の名門校・椙山女学園中を辞め、通信制のS高へ転校し、茉莉選手と兄・渚さんが埼玉へ移住するという決断です。

「名門中学を中退して通信制へ」と聞くと、親としては相当な葛藤があったはず。

でも、深田家の両親はそこに迷いを持ち込まなかった。

佐藤コーチの指導で才能が開花する様子を見て、「この環境を整えることが最優先だ」という信念のもと、即座に動き出したのです。

これは単に「学校を変える」話ではありません。

生活基盤ごとひっくり返すような決断です。

引越し、転校、学費の変化、毎週末の送迎負担——それでも「娘の夢を取るか、現状維持を取るか」という問いに、両親は迷わず前者を選びました。

茉莉選手と兄・渚さんの埼玉移住後は、夏場も埼玉の室内練習施設(クエスト)で年中練習できる環境が整い、競技力は急上昇。

この決断から数年後に、世界チャンピオンが誕生するわけです。

家族の決断力と行動力——そこに「金メダルの種」があったのかもしれません。

父が語る「内気だった幼少期」

今でこそ世界の舞台で堂々と滑りを披露する茉莉選手ですが、幼少期はまったく違う顔を持っていたようです。

父・範生さんによると、子供の頃の茉莉選手は「恥ずかしがりやで内気」な女の子だったとのこと。

家では絵を描いたり、ままごとをしたりして過ごす、おとなしいタイプだったそうです。

リフト券を忘れるような「天然でおっちょこちょい」な一面もあると伝えられており、スポーツ選手のイメージとはちょっと違う、等身大の素顔が垣間見えます。

その内気な子が、ゲレンデでは誰よりも高く跳ぶ「負けず嫌いの怪物」に変わっていった——この落差が、深田茉莉というキャラクターの魅力を何倍にも増しているのでしょう。

「内気な子が世界一になる」なんて、映画でも使えそうなストーリーですよね。

母と一緒に通い詰めた岐阜のスキー場

一方、母・美帆さんの存在も、茉莉選手の競技人生に欠かせません。

愛知みよし市から岐阜のスキー場まで、家族の「週末大移動」を支えたのが母・美帆さんです。

運転、荷物の管理、体調のケア——いわゆる「マネージャー兼サポートスタッフ」の役割を一手に引き受けていました。

ダイナランドや高鷲スノーパーク、ひるがの高原を家族でローテーションしながら通い続けた幼少期の日々。

「楽しいね」と子供たちが笑顔で滑る様子を見守りながら、移動の段取りを整えていたのが美帆さんです。

13歳以降の埼玉通いでも、美帆さんの動きは止まりません。

愛知と埼玉を往復する過酷なスケジュールも、精神面・生活面の両方から娘を支え続けた。

家族の「山好き気質」の源流とも言えるのが、この美帆さんという存在なのかもしれません。

父の範生さんと母の美帆さん

深田家の両親について、もう少し詳しく見ていきましょう。

父・範生さんは57歳、母・美帆さんは52歳(いずれも2026年時点)。

職業については全報道で一切公表されておらず、一般家庭の夫婦として、娘の夢を全力で支えてきた2人です。

週末は岐阜のゲレンデ、平日は仕事——そんな生活を何年も続けながら、埼玉への長距離送迎を担い続けた体力と精神力には、ただただ頭が下がります。

オリンピック本番でも、急な日程変更にもかかわらずイタリアまで現地応援に駆けつけた行動力は、「親バカ」という言葉では済まないレベルの献身でしょう。

地元みよし市では「両親の献身なくして今の茉莉はない」と称えられており、金メダルの半分は両親のものだという声もあるほどです。

これだけの覚悟と行動力を持った両親のもとに生まれたこと、茉莉選手にとってこれ以上ない「最強のホームチーム」だったのではないでしょうか。

父・範生さんは元日生まれの名付け親

父・範生さんにまつわるエピソードで、最も話題になったのが「名付けの逸話」です。

2007年1月1日、元旦の日の出とともに生まれた茉莉選手を見た瞬間、範生さんはこう思ったそうです。

「元日の日の出とともに生まれたのだから、『日出子(ひでこ)』という名前にしよう」と。

ロマンチックというか、なんというか……親心がほとばしりすぎた瞬間でしょうか。

しかし、周囲の猛反対によりこの名前案はあえなく却下されたことがスポニチで報じられています。

結果として選ばれた名前が「茉莉(まり)」——これには姉・遥さんの好みが関わっているのですが、その話は後ほど。

「日出子」が「茉莉」になったおかげで、今の「深田茉莉」という名前があるわけです。

父の熱い想いが空振りに終わった瞬間が、世界チャンピオンの名前を生んだとも言えて、なんとも人間味あふれる話ですよね。

この「日出子エピソード」、金メダル直後に改めて脚光を浴びたのも納得で、「元旦生まれの金メダリスト」というストーリーと絡まると、一段と味わいが深くなります。

母・美帆さんは遠征を支えたマネージャー

母・美帆さんの功績を一言で表すなら、「影の総合マネージャー」という表現がしっくりきます。

運転、食事、精神的ケア、スケジュール管理——遠征にまつわるあらゆる実務を担い続けた人物です。

Red Bullのインタビューで茉莉選手は「両親のサポートのもと、毎週末埼玉へ」と繰り返し感謝を述べており、「親もそういうのは感じた」という言葉からも、母親が娘の才能と可能性を早い段階から信じていたことがわかります。

高校で通信制に転校した際も、新たな生活環境を整えるための動きを美帆さんが担いました。

「子供の夢のために全力を尽くす」という覚悟は、範生さん同様に美帆さんの行動にも一貫しています。

家族の「雪山ライフ」の原点を作り、6人全員が同じ方向を向く環境を育てた功労者——そう呼んでも決して言い過ぎではないでしょう。

兄弟4人の名前と年齢

深田茉莉選手には、双子の兄・渚さんと姉・遥さん(ともに22歳)、そして5歳下の弟(14歳)がいます。

4人きょうだい全員がスノーボードを嗜み、幼少期から週末は家族で雪山へ向かうのが日常でした。

お互いの滑りを見て刺激し合い、自然と競技への熱量を高めていった環境は、まるでサラブレッド一家のようです。

兄はJSBAのプロ資格を持つスノーボーダー、弟もスポーツ一家の象徴として有望視されているという、家族全員がアスリート気質という徹底ぶり。

上も下も本気でスノーボードに向き合っているきょうだいの中で育ったことが、茉莉選手の「負けず嫌い」に火をつけ続けたのでしょう。

「家族全員がライバルであり、最大の理解者」という環境——これはちょっと、なかなか得られないものだと思います。

①長男・渚(なぎさ)さん

4人きょうだいの中で、茉莉選手の競技人生に最も直接的な影響を与えたのが、3歳上の兄・渚さんです。

茉莉選手がスノーボードを始めたきっかけは、まさにこの兄の存在でした。

Red Bullのインタビューで茉莉選手はこう語っています。

「お兄ちゃんとお姉ちゃんが滑っていて、楽しそうだなと思ったのが最初です。スノーボードが身近な存在だったので、自分も自然と始めていました。」

7歳の茉莉選手が兄の背中に憧れてスノーボードを手にした——その瞬間が、世界チャンピオン誕生の「ゼロ地点」だったわけです。

現在の渚さんは東京の大学に進学しながら、週末は埼玉の練習施設クエストでアルバイトを続け、妹の送迎と生活サポートを担っています。

茉莉選手が埼玉に移住後は一緒に二人暮らしをしており、練習後の食事作りまで引き受けるという献身ぶり。

JSBAのプロ資格を持つスノーボーダーとして、技術的なアドバイス役も務めているといいます。

報知新聞が繰り返し紹介したのが、「茉莉選手の好物は兄が作ったチキンのトマト煮」というエピソードです。

金メダリストの好物が「兄のトマト煮」——この事実だけで、兄妹の関係性と日常の温かさが伝わってきます。

「金メダルの裏側を支える兄の献身」として、読む人の心を掴むエピソードとして繰り返し報じられているのも、納得の一言です。

大学、アルバイト、妹のサポート、競技へのアドバイスをすべて両立させているこのお兄ちゃん、本当に頭が下がります。

②長女・遥(はるか)さん

双子の姉・遥さんは、茉莉選手の名前の由来に深く関わっている人物です。

父・範生さんの「日出子計画」が没になった後、最終的に選ばれた「茉莉(まり)」という名前。

その由来は、遥さんが大好きだったディズニーアニメ『おしゃれキャット』の主人公・猫の「マリー」でした。

スポニチでは「3つ上の双子の姉・遥さんがディズニー映画『おしゃれキャット』に出てくる主人公の猫・マリーが好きだったことから」と詳細に報じられています。

父のロマン(日出子)を、姉のディズニー愛(マリー)が上回った——そんな家族の日常の延長線上に、「深田茉莉」という名前が生まれたのです。

なんともほっこりする命名秘話ではないでしょうか。

遥さん自身も幼少期から兄と一緒にゲレンデに立ち、4きょうだいの雪山文化を形成した中心メンバーのひとりです。

茉莉選手が「お姉ちゃんの真似をしたくなった」と語るほど、早い段階から弟妹に影響を与えてきた存在でした。

名前の由来にまでなった姉・遥さんの存在感、これはもう「茉莉」という名前と一緒に永遠に語り継がれるのでしょう。

③本人・茉莉(まり)選手

4人きょうだいの3番目として育った茉莉選手は、上の双子に追いつこうとする気持ちと、下の弟に「負けてられない」という意地が同時に働く、絶妙なポジションに置かれていました。

天然でおっちょこちょい(リフト券を忘れるなど)、でも競技になると誰より高く跳ぶ。

家では絵を描いてままごとをする内気な子が、ゲレンデでは世界一になる——このギャップが、深田茉莉選手の最大の魅力です。

「きょうだい思い」「正義感が強い」と本人も語るその性格は、この賑やかで熱量の高い家族の中で自然に育まれたものなのでしょう。

そして「楽しそう」という純粋な動機でスノーボードを始めた7歳の少女が、19歳で世界の頂点に立つ——この軌跡こそが、深田茉莉というアスリートの本質ではないでしょうか。

④次男・弟(14歳)

5歳下の弟については、名前は一切公表されていません。

ただ、スポーツ一家の末っ子として有望視されている存在であることは間違いなさそうです。

姉が世界一を取った2026年、弟はまだ14歳。

これから本格的に競技の道を歩むとしたら、「姉の金メダル」はとてつもない背中になるはずです。

深田家から第二の世界チャンピオンが生まれる日が来るかどうか、長い目で見守っていきたいところです。

家族全員がスノーボードを愛し、お互いを高め合う環境の中で育った末っ子——その未来が楽しみでなりません。

兄と二人暮らしの練習環境

埼玉移住後の茉莉選手の生活を支えたのは、兄・渚さんとの「二人暮らし」という日常です。

東京の大学に通いながら、クエストでアルバイトをし、妹の送迎と食事の面倒を見る——渚さんの生活は「大学生の普通」とはかけ離れたものでした。

でも、そこに「仕方なくやっている」という感じは一切ないように見えます。

家族全員が同じ方向を向き、茉莉選手の夢を「自分たちの夢」として分かち合っているからこそ、自然とそういう役割分担が生まれていったのかもしれません。

兄が作る「チキンのトマト煮」を食べながら、練習の疲れを癒す19歳の茉莉選手。

その食卓の風景が、金メダリストの日常だったのです。

なんだかその光景が目に浮かぶようで、親しみやすさを感じずにはいられません。

父と母が刻んだ長距離の走行距離、兄が整えた日常の食卓、姉が与えた名前、弟が生み出した競争心——それら全部が重なって、深田茉莉という選手は完成したのでしょう。

金メダルは茉莉選手ひとりが手にしたものですが、深田家6人全員で勝ち取ったものでもある。

そう感じさせてくれる家族の物語です。

雪のない街から世界一へ。

このストーリーが多くの人の心を打つのは、技術や才能の話だけではなく、家族の「愛情の走行距離」が見えるからではないでしょうか。

深田茉莉選手のこれからの活躍とともに、この温かい6人家族の物語がどんなページを重ねていくのか——引き続き、目が離せません。

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