2026年3月26日午後7時15分頃、池袋サンシャインシティ内のポケモンセンターメガトウキョーで、痛ましい刺殺事件が起きました。

春休みの家族連れで賑わう「夢の空間」が、一瞬にして悲劇の現場に変わったのです。

テレビや新聞ではストーカー被害や「無敵の人」といった切り口で報じられていますが、事件直後からSNS上ではまったく別の角度からの声が急増していたのをご存じでしょうか。

「あの場所、元は処刑場だったんだよ」「また引っ張られたんじゃないか」——こうした投稿が、ものすごい勢いで拡散されていたんですね。

正直なところ、最初は「さすがにオカルトでしょ」と思ったのですが、調べれば調べるほど無視できない歴史的事実が次々と出てきたのです。

当ブログでは、こうしたネット上の噂を検証するために、歴史資料や過去の報道を片っ端からあたってみました。

もちろん、亡くなられた方やご遺族への配慮は忘れず、あくまで「土地の歴史」という観点から事実を丁寧に整理していきたいと思います。

なお、本記事には一部、科学的に証明されていない仮説やSNS上の証言に基づく考察も含まれている点をあらかじめご了承ください。

池袋ポケセン刺殺事件と巣鴨プリズンの歴史的関係

事件の現場となったサンシャインシティには、多くの人が知らない——あるいは、知らされていない歴史が刻まれています。

ここではまず、あの土地がたどってきた凄惨な過去と、今回の事件との間にある不思議な符合を見ていきましょう。

池袋のランドマークといえば、誰もが思い浮かべるのがサンシャイン60ではないでしょうか。

水族館にプラネタリウム、そしてポケモンセンターメガトウキョー。

家族連れやカップルの笑顔が絶えない、東京を代表する商業施設のひとつですよね。

ところが、この華やかな建物が建っている場所は、かつて「巣鴨プリズン」と呼ばれた戦犯収容施設の跡地そのものなのです。

戦前は東京拘置所として思想犯などを収容していたこの敷地は、1945年11月にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に接収されました。

簡単に言えば、戦勝国が「ここは俺たちが使う」と取り上げたわけですね。

改称された名前が「スガモプリズン」。

ここで何が行われたかというと、極東国際軍事裁判——いわゆる東京裁判で有罪となった戦争犯罪人たちの収容と処刑です。

A級戦犯7名を含む合計60名が、まさにこの場所で絞首刑に処されました。

特に衝撃的なのが、A級戦犯7名の処刑日でしょう。

1948年12月23日——これは当時の皇太子(現在の上皇陛下)の15歳の誕生日にあたります。

午前0時1分30秒という真夜中に執行が始まったとされ、GHQが意図的にこの日を選んだという指摘は、歴史研究者の間でもずっと根強く語られてきたんですね。

処刑されたのは元首相の東条英機をはじめ、広田弘毅、土肥原賢二、板垣征四郎、木村兵太郎、松井石根、武藤章の7名。

教誨師(きょうかいし=死刑囚に最後の説法を行う僧侶)として立ち会った花山信勝氏の記録によれば、死刑囚たちは「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えながら刑場へ向かったといいます。

敗戦国の指導者たちが、勝者の手によって命を絶たれた場所——それが、今私たちが買い物を楽しんでいるあの建物の足元に広がっていたのです。

処刑後の遺体は横浜の久保山火葬場で火葬され、遺灰は米軍機によって太平洋上空で秘密裏に散骨されました。

この散骨の詳細は長年伏せられていましたが、2021年に発見された米第8軍の極秘公文書によって、横浜東方約48キロの海上だったことがようやく裏付けられたのです。

A級7名だけではありません。

BC級戦犯53名もこの施設で命を落としており、1946年から1950年までの約4年間、ここは文字通り「死の施設」として機能していたわけです。

1971年に拘置所が小菅へ移転した後、跡地は再開発されて1978年にサンシャインシティとして生まれ変わりました。

処刑場があった場所は、現在の東池袋中央公園にあたります。

公園内には「永久平和を願って」と刻まれた慰霊碑がひっそりと建てられていて、碑文にはこの地で刑が執行された旨がはっきり明記されているのですが……。

雑木林の奥まった場所にあるため、買い物客や観光客の目に触れることはほとんどありません。

知っている人のほうが圧倒的に少ないのが現実でしょう。

そして、今回の事件報道を振り返ると、ある「不自然さ」に気づかされます。

テレビも新聞も、事件を「ストーカー被害」「無敵の人の凶行」「春休みの夢の場所での悲劇」という枠組みでしか報じていないのです。

サンシャインシティが処刑場跡地であるという歴史的事実には、どのメディアも一切触れていません。

しかも、わずか9ヶ月前——2025年7月1日には、同じサンシャインシティの31階にあるアディーレ法律事務所で、同僚による30代男性の刺殺事件が起きていたにもかかわらず、この「連続性」すら個別の事件として処理されているんですね。

同一施設、同じ凶器の刃物、同じ管轄の巣鴨署——これだけ共通点が揃っているのに、土地の歴史に言及する報道は皆無という状況。

商業施設としてのイメージを守りたいという思惑が、どうしても透けて見えてしまうのではないでしょうか。

こうした歴史的事実を知ると、ある「偶然の一致」がどうにも気になってきます。

サンシャイン60の「60」という数字と、この施設で処刑された60名という数字の符合

SNS上では以前からこの一致を指摘する声が根強くありました。

もちろん、ただの偶然という可能性も十分あるでしょう。

でも、こうした符合が人々の間で語られること自体、この土地に刻まれた記憶の深さを物語っているように感じられます。

さらに気になるのが、2025年7月のアディーレ法律事務所の事件との類似性です。

あの事件でも犯行は「迷わず直行・刃物隠し持ち」という点で、2026年のポケセン事件と酷似していました。

同一施設での短期間の連続性が、偶然で片付けていいものなのかどうか——正直、考え込んでしまいます。

死刑囚が最後にくぐった13号鉄扉の呪いと現在

巣鴨プリズンの歴史を語る上で避けて通れないのが、「13号鉄扉」と呼ばれる象徴的な遺物の存在です。

この扉がたどった数奇な運命と、今回の事件との間に浮かび上がる不気味な符合を、順を追って見ていきましょう。

①A級戦犯7名が処刑された絞首台の場所

処刑が行われた場所は、現在の東池袋中央公園の敷地内でした。

コンクリート壁に囲まれた約30メートル四方の空間に、5基の絞首台が並んでいたと記録されています。

敷地の北側には戦前から使われていた日本式の刑場と、GHQが新たに設置したアメリカ式のブリキ屋根の刑場があり、A級戦犯7名の処刑は後者で執行されたとのこと。

現在その場所には慰霊碑が建てられていますが、公園を訪れた人の多くは人工滝の裏手にあるこのエリアの存在すら知りません。

昼間でも薄暗い雑木林に覆われたその一角は、訪れた人が口々に「寒気がする」「妙な不快感を覚える」と語る場所でもあります。

処刑場跡とは知らずに立ち入った人でさえ何かしらの違和感を感じるというのは、偶然として片付けるにはなかなか引っかかるものがあるでしょう。

②「生と死の境界線」13号鉄扉の驚愕の正体

13号鉄扉とは、死刑囚が処刑場に入る際に最後にくぐった鉄製の扉のことです。

縦約210センチ、横約130センチの重厚なつくり。

A級戦犯7名を含む60名の死刑囚がこの扉を通り、絞首台へ向かいました。

花山信勝教誨師の記録には「扉をくぐる瞬間、死刑囚の表情が一変した」という記述が残されており、まさに「この世とあの世の最後の門」と呼ぶにふさわしい存在だったのでしょう。

一度くぐったら二度と戻れない、文字通りの一方通行の門。

驚くべきことに、この13号鉄扉は現在も現存しています。

2018年10月に日経新聞が「巣鴨プリズンの13号扉現存」と報じたことで、その存在が広く知られるようになりました。

サンシャインシティの建設にあたって建物が解体された際、再開発を担った会社が法務省に寄付したとのことです。

1982年から2017年頃まで東京都府中市の矯正研修所で保管され、その後は昭島市の国際法務総合センターに移管されたとされています。

法務省は当時「貴重な歴史的史料。今後の保管や公開について検討を進めたい」とコメントしていましたが、あれから8年近く経った今も一般公開は一度も実現していません

しかも、寄付の際には「公共性の強い催しのために貸し出しの要請があった場合、協議の上、対処するように」と通知されていたにもかかわらず、貸出実績はほぼゼロのまま。

歴史的に極めて重要な遺物が、なぜここまで徹底的に人目から遠ざけられているのか——ここに何らかの意図を感じてしまうのは、うがった見方でしょうか。

そして、2026年の事件現場であるポケモンセンターは、かつてこの13号鉄扉があった場所からわずか数十メートルの距離に位置しています。

加害者が迷いなくカウンター内側に回り込み、犯行後に自ら命を絶った行動パターンは、13号鉄扉をくぐって二度と戻れなかった死刑囚の最期と、どこか重なって見えなくもありません。

もちろんこれは仮説の域を出ない話ですが、知れば知るほど背筋が冷たくなる符合ではないでしょうか。

③メディアが「処刑場」を報じない不自然な理由

今回の事件報道で、もっとも引っかかるのはどのメディアもサンシャインシティの歴史的背景にまったく触れないという点でしょう。

2018年に13号鉄扉の現存が報じられて以降、2025年のアディーレ法律事務所での刺殺事件でも、今回のポケセン事件でも、「巣鴨プリズン」「処刑場」「60名」といったキーワードは完全に排除されています。

代わりにクローズアップされるのは、「スタッフの神対応」「AED運搬の美談」「ストーカー法の限界」といった、いわば”安全な話題”ばかり。

もちろんこれらも大事なテーマではありますが、同じ施設でわずか9ヶ月の間に2件の刃物殺人が発生しているのに、「なぜこの場所なのか」という根本的な疑問を誰も投げかけないのは、やはり不自然に感じてしまいます。

この沈黙の背景には、いくつかの「大人の事情」が絡み合っているのかもしれません。

  • 商業施設としてのイメージを守りたい運営側の意向
  • 心霊ブームによる風評被害を避けたい行政側の思惑
  • 歴史の再評価という厄介なテーマに踏み込みたくないメディアの事情

慰霊碑が公園の目立たない場所にひっそり置かれ、13号鉄扉が非公開のまま法務省施設に保管され続けている現実を見ると、こうした力学が長年にわたって働いてきたと考えるのが自然ではないでしょうか。

江戸時代から「血の四ツ辻」だった池袋──四面塔尊が語る300年の因縁

巣鴨プリズンの歴史だけでも十分に重たいのですが、実はこの土地の因縁は戦後どころか江戸時代まで遡るのだそうです。

事件直後、SNS上で約30万回閲覧された投稿がありました。

地域ネタや街歩きレポートで19年の活動歴を持つ発信者が、事件当日にこう書いたのです。

「池袋は江戸時代から追いはぎ辻斬が絶えない土地だった。今も悪い土地の因縁を引きずっている気がする」——と。

この投稿で紹介されていたのが、池袋駅東口のすぐそばにひっそりと佇む「四面塔尊(しめんとうそん)」という石塔でした。

享保6年(1721年)、今から約300年前のこと。

現在の池袋駅東口付近は、高田雑司ヶ谷と板橋を結ぶ街道と、礫川(こいしかわ)と東長崎を結ぶ街道が交差する「四ツ辻」にあたりました。

今で言えば大きな交差点のようなものですが、当時ここは夕方になると追いはぎや辻斬りが横行する、とんでもなく物騒な場所だったのだとか。

夜になると通行人はほぼゼロ。

近隣の住民たちは恐怖の中で暮らしていたわけですね。

そして享保6年の夏、信じがたい惨事が起きます。

たった一晩で17名もの人が斬り殺されたのです。

犯人は捕まらず、被害者は無縁仏——つまり、弔ってくれる身寄りのない亡骸として放置されることになりました。

恐怖と悲しみに包まれた池袋村の有志64人は、雑司ヶ谷鬼子母神で知られる法明寺の日相上人に供養を依頼。

同年9月、法華経のお題目を刻んだ石塔を建立して、無縁仏の冥福を祈ったのです。

これが四面塔尊の由来であり、建立後は災難が治まったと伝えられています。

興味深いのは、この石塔にまつわる「祟り伝説」でしょう。

池袋が都市化する過程で、四面塔尊は何度か移転を余儀なくされているのですが、そのたびに不穏な話がついて回るのです。

戦後の駅前再開発では、移動作業員の相次ぐ事故死が伝えられ「塔を動かしてはならない」という噂が広まりました。

昭和30年代にはデパート建設のために再び移設され、地元有志と協力して丁重に供養を行ったにもかかわらず、そのデパートは後に経営難に陥ったのだとか。

「塔を動かした祟りだ」と囁かれたという話は、地元では今もそれなりに知られているようです。

現在の四面塔尊は、池袋駅東口の線路沿いにある小さな公園の中にひっそりと安置されています。

柵で囲まれ、隣には稲荷社と六地蔵尊が併祀されており、奉賛会が毎月の縁日で管理を続けている状況。

繁華街のすぐそばなのに、塔の周辺だけ空気が違うと感じる人は少なくないそうです。

ここで立ち止まって考えてみたいのは、距離と時間の重なりについてです。

四面塔尊が建てられた四ツ辻から、サンシャインシティまでの直線距離はわずか800メートルほど。

江戸時代の「一晩17名の辻斬り」と、戦後の「60名の処刑」と、そして現代の「9ヶ月間で2件の刃物殺人」——この三つの時間軸が、ほぼ同じ土地の上で折り重なっているんですね。

300年前の無念の死、80年前の戦犯処刑、そして今。

これを「ただの偶然」と割り切れる人がどれだけいるのかは、正直わかりません。

もちろん、四面塔尊の奉賛会は「法華経の功徳により災難は解消された」と公式に位置づけていますし、祟り伝説はあくまで民間伝承の範囲です。

科学的に土地の因縁が証明されたわけでもありません。

ただ、事件当日にあの投稿が30万回も閲覧されたという事実は、多くの人がこの「偶然の重なり」に何かを感じ取ったことの証ではないでしょうか。

メディアは今回も、四面塔尊や巣鴨プリズンの文脈には一切触れていません。

報じるのは「ストーカー法の限界」と「警備体制の見直し」ばかり。

でも、「なぜこの土地で繰り返されるのか」という問いは、制度論だけでは答えが出ないもののように思えてなりません。

処刑場跡地で繰り返される不可解な事件

「サンシャインシティだけが特殊なのでは?」と思うかもしれませんが、実はそうでもないのです。

日本各地の旧刑場や処刑場跡地では、不可解な事件や現象が繰り返し報告されてきた歴史があります。

ここでは代表的な事例を見ながら、公式報道に共通する「あるパターン」を浮き彫りにしていきましょう。

①市ヶ谷刑場跡(防衛省周辺)の不審死

東京・市ヶ谷にある現在の防衛省周辺は、江戸時代から明治・大正期にかけて処刑が行われていた場所として知られています。

東京監獄(市ヶ谷監獄)跡地としても有名で、1910年の大逆事件では幸徳秋水ら12名の死刑がここで執行されました。

戦後、刑場としての機能は巣鴨に移りましたが、跡地周辺では不審死や自殺の報告が途絶えないといいます。

防衛省の施設になった後も「軍服姿の影を見た」「同じ場所で繰り返し自殺が起きる」といった話が出てくるのだとか。

しかし公式記録ではすべて「個別の事件」として処理されていて、刑場の歴史との関連が報じられることはほぼありません

②京都・粟田口刑場跡の殺人・自殺連鎖

京都東山区の粟田口刑場跡は、江戸時代から明治期にかけて多くの罪人が処刑された場所です。

斬首、磔(はりつけ)、火刑——現代の感覚では信じがたい方法での公開処刑が、長きにわたって行われていました。

今は公園や住宅地に様変わりしていますが、周辺で殺人や自殺の連鎖が歴史的に報告されており、心霊スポットとしても広く知られているのだそうです。

「夜間にうめき声が聞こえる」「罪人の霊が出る」という証言が途切れることなく語り継がれている点は、サンシャインシティ周辺の状況と重なるものがありますよね。

③大阪・天王寺刑場跡の通り魔事件例

大阪の天王寺周辺、特に千日前エリアには、江戸時代から明治期の処刑場の痕跡が残っているとされています。

かつて罪人の晒し首や公開処刑が行われていた場所で、戦後も通り魔事件や無差別殺傷が散発的に起きてきたという指摘があるのです。

心霊関連では「首無し霊」や「人魂」の目撃談が語られ、繁華街のど真ん中で突発的な凶行が目立つとも。

あくまでSNSや口伝レベルの情報が多い点には注意が必要ですが、処刑場跡地と凶悪事件の発生場所が重なる「偶然」が全国各地で報告されている事実は、やはり気にかかります。

④横浜・久保山火葬場周辺の不可解な事故

先ほど触れたとおり、巣鴨プリズンで処刑されたA級戦犯7名の遺体は、横浜の久保山火葬場(現在の久保山斎場)で火葬されています。

遺灰は太平洋に散骨されましたが、一部は密かに奪還されたとの記録も残っているのだとか。

この火葬場の周辺でも、不可解な事故や変死が報告されてきたと言われています。

GHQの厳重な管理下で行われた極秘の火葬と散骨が、土地に何らかの「痕跡」を残したという見方は科学的には証明しがたいものの、サンシャインシティで繰り返される自死覚悟の凶行と符合する部分があるのは否定しにくいところでしょう。

⑤公式が「歴史的背景」を隠蔽する共通の手口

ここまで見てきた処刑場跡地に共通しているのは、事件が起きるたびに「個別の案件」として処理され、土地の歴史的背景が報道から徹底的に排除されるという点です。

サンシャインシティの場合も例外ではありません。

9ヶ月間で同一施設から2件の刃物殺人が発生しているにもかかわらず、メディアが取り上げるのは「ストーカー法の限界」や「無敵の人問題」ばかり。

SNSで急増する心霊証言は「不謹慎」「デマ」として封じられ、運営側は慰霊碑を目立たない位置に置いたまま、公式サイトや案内板で歴史に触れることを一切していないのが実態です。

再開発業者、行政、メディアの間に、暗黙の了解のようなものがあるのだとすれば——被害者やご遺族が抱く「なぜこの場所で」という切実な疑問は、永遠に宙に浮いたまま放置されてしまうことになりかねません。

それは亡くなった方への弔いとして、果たしてふさわしいと言えるのかどうか。

誰かがこの問いを投げかけ続けなければ、同じ悲劇はまた繰り返されるのかもしれません。

サンシャイン60で軍人の霊?元スタッフの衝撃証言

ここまで歴史的事実と報道の不自然さを見てきましたが、最後にもうひとつ、見過ごせない情報を取り上げたいと思います。

それは、サンシャインシティ内で実際に働いていた元スタッフによる、生々しい体験談です。

今回の事件直後、SNS上で大きな注目を集めたのが、かつてサンシャインシティ内のナンジャタウンで勤務していたという人物の投稿でした。

その方は「閉店後の見回りで軍人の霊が出ていた」「殺人に自殺、霊に引っ張られるんだと思う」とはっきり記しています。

ネットにありがちな怖い話や創作ではなく、日常的にその場所で働いていた人の言葉だからこそ、受け止め方がまるで違ったという方も多かったのではないでしょうか。

証言の内容をもう少し詳しく見てみましょう。

閉店後、誰もいないはずの通路やアトラクションエリアで「軍服姿の男性の影」や「規則正しい足音」が聞こえたというのです。

集団で歩くような話し声や、軍歌のような音が響いたこともあったのだとか。

投稿者は事件後に「昔のことを思い出して…」と補足しており、閉店後に聞こえた「ドスンという重い音」が、絞首刑の台が落ちる音に似ているとスタッフ間で囁かれていたことも明かしています。

青白い光——いわゆる人魂——が現れることもあり、スタッフの間では「軍人の霊が出る」というのが半ば共有された認識だったようです。

こうした体験談は、このスタッフだけにとどまりません。

サンシャインシティ全体で見ると、類似の目撃談が数多く報告されています。

 

  • 地下駐車場での「兵士の足音や話し声」
  • 高層階で「窓の外を横切る影」
  • 東池袋中央公園での「深夜0時に現れる軍服姿の男性」
  • 慰霊碑周辺の「人魂」や「コツコツとついてくる足音」

 

もちろん「首無しライダー」のような明らかな都市伝説も混在しているので、すべてを鵜呑みにはできません。

ただ、軍人霊に限っては証言の方向性が驚くほど揃っている点は、単なる噂話として切り捨てるには惜しい情報ではないでしょうか。

元スタッフの「引っ張られるんだと思う」という言葉は、今回の事件の加害者の行動とも不気味に符合しています。

加害者は迷いなくカウンターに直行し、短時間で犯行を遂げた後、自ら命を絶ちました。

2025年のアディーレ法律事務所の事件でも「迷わず直行」「刃物隠し持ち」「短時間の凶行」というほぼ同じパターンが見られます。

通常のストーカー心理だけでは説明しづらい「何か」が、この場所には漂っているのかもしれない——元スタッフの証言を知った後では、そう感じてしまうのも無理のない話でしょう。

テレビや新聞がこうした証言を一切取り上げないのは、ある意味で仕方のない面もあるのかもしれません。

メディアとして「心霊」を扱うリスクは大きいですし、ご遺族への配慮から軽々しく報じるべきではないという判断も理解できます。

ただ、「なぜこの場所で繰り返されるのか」という問いに対して歴史的背景すら一切報じないのは、配慮とは別の理由——商業施設のイメージ保全や風評リスクの回避——が働いていると受け取られても仕方がないのではないでしょうか。

最後にひとつだけ、はっきりさせておきたいことがあります。

この記事は、特定の場所や施設を中傷する意図で書いたものではありません。

処刑場跡地だから危険だとか、サンシャインシティに行くべきではないとか、そう言いたいわけでもないのです。

ただ、60名もの命が奪われた土地の上に建つ施設で、短期間に痛ましい事件が繰り返されているという事実がある以上、その歴史を完全に「なかったこと」にしてしまうのは、少し不誠実なのではないかと感じています。

戦犯として処刑された人々も、今回の事件の被害者も、同じ土地で命を失った——その事実は、きちんと受け止められるべきでしょう。

「なぜこの場所で?」という問いに、科学的な答えはまだ出ていません。

けれど、歴史と向き合うことは「呪い」を恐れることとは違うはずです。

この土地に刻まれた記憶を知った上で、私たちがどう受け止め、どう次の悲劇を防いでいくのか。

その問いを一人ひとりが胸に留めておくことが、いま私たちにできるせめてもの弔いなのかもしれません。

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