2026年3月6日、東京地方裁判所がある判決を言い渡しました。

映画監督・榊英雄被告(55歳)に対する、懲役8年の実刑判決です。

「演技指導」という言葉を隠れ蓑にして、駆け出しの女性俳優たちを密室に呼び込み、繰り返し性的暴行を加えた罪。

検察の求刑は懲役10年でしたが、判決はそれより2年少ない8年となりました。

この「2年の差」に、なんとも言えないモヤモヤを感じた人は少なくないのではないでしょうか。

被害に遭った女性たちの人生を狂わせた行為の対価が、たった8年で済むというのはどう考えても刑が軽くないかと思ってしまいます。

しかも、被告側は即日控訴を表明しており、この戦いはまだ続きます。

この事件の恐ろしさは、単に「ひどい人間がいた」という話で終わらないところにあります。

業界の構造、権力の使われ方、そして「同意」というものの定義まで、深く考えさせられる事件なのです。

今回は、この事件の全貌についてできるだけわかりやすくお伝えしたいと思います。

榊英雄の経歴とプロフィール…実力派監督がなぜ凶行に?

「信頼される人間」が加害者になるとき、その被害はより深く、より見えにくくなります。

榊英雄という人物は、まさにそのパターンを地でいく最悪の存在だったと言えるかもしれません。

経歴を知れば知るほど、「なぜ?」という疑問と同時に、「だから被害者は逃げられなかった」という悲しい納得感が湧いてきます。

榊英雄は1970年6月4日、長崎県五島市生まれ。

2026年の判決時点で55歳の、俳優出身の映画監督です。

1995年に古厩智之監督の映画『この窓は君のもの』で主演デビューを果たし、俳優としてのキャリアをスタートさせました。

その後、北村龍平監督の『VERSUS -ヴァーサス-』(2000年)に出演し、海外映画祭でも注目を集める存在に。

さらに、2012年から2013年にかけては『特命戦隊ゴーバスターズ』でレギュラー出演し、同年には大河ドラマ『平清盛』にも脇役として登場しています。

また、ドラマ『教場 II』や映画『探偵はBARにいる』シリーズへの出演も知られており、「現場を知り尽くした俳優」として業界内での信頼を着実に積み上げていきました。

 

正直、これだけ聞くと「業界で認められた人物」という印象しかありません。

だからこそ、後に明らかになる事実との落差が、より一層衝撃的なのです。

そして俳優としての経験を活かし、監督業への転身も果たします。

2007年の『GROW 愚郎』で商業映画初監督を務めると、2009年には『誘拐ラプソディー』で第20回日本映画批評家大賞の新人監督賞を受賞。

その後も『捨てがたき人々』(2011年)、『不起立教室』(2012年)、そして『ヤクザと家族 The Family』(2021年)と、社会派・人間ドラマを得意とする監督として批評家からの支持を集めていきました。

俳優業と監督業を同時に続ける、いわゆる「二刀流」のクリエイターとして業界内の評価は高く、「現場をよく理解している監督」というイメージが定着していたのです。

ここが、この事件の最もたちの悪い部分だと私が感じているところ。

駆け出しの俳優、特に20代の女性にとって、受賞歴のある監督というのは「キャリアを変えてくれるかもしれない人」そのものです。

彼のようなワークショップや演技指導の場は、チャンスをつかむための入り口に見えたはず。

「信頼できる、実績のある人だから大丈夫」という安心感が、逆に警戒心を下げてしまう。

大河ドラマや特撮番組への出演実績は、「この人は安全だ」という誤った確信を植え付けるための、意図せざる免罪符になっていたと言えるのではないでしょうか。

 

実際、被告がワークショップやオーディションを通じて女性を呼び出し始めたのは2015年頃のこと。

表舞台で輝かしい実績を積みながら、その裏では計画的に女性たちを追い詰めていたわけです。

後に押収されたSDカードには約50本のわいせつ動画が残されており、SDカードから10人以上の女性が写っていたとされ、余罪の可能性が強く指摘されています。

「実力派監督」の看板が、長年にわたる性搾取を隠し続けていたという現実。

これは決して他人事ではなく、どの業界にも潜み得る構造的な問題だと感じます。

榊英雄の懲役8年判決…芸能界の「絶対的な上下関係」

今回の事件を「一人の狂った監督が起こした特別な事件」として片付けることは、とても危険なことだと思っています。

この事件は、日本の映画・芸能業界に長年根付いてきた「上下関係の文化」が生み出した、構造的な問題の表れではないでしょうか。

 

2026年3月6日、東京地方裁判所(宮田祥次裁判長)は榊英雄被告に懲役8年の実刑判決を言い渡しました。

罪状は準強姦罪(現在の不同意性交等罪に相当する内容ですが、事件発生が2015〜2016年のため旧法である準強姦罪が適用されています)。

2015年3月から2016年9月にかけて、東京都内の事務所やホテルなどで、当時20代の女性2人に計5回にわたって性的暴行を加えたとされています。

裁判所は「監督と駆け出し俳優の圧倒的な立場の差を悪用した卑劣で悪質な犯行」と認定し、弁護側の無罪主張を退けました。

被告側は即日控訴を表明しており、この先どうなるのか、注視が必要な状況です。

 

日本の映画界には、監督やプロデューサーを頂点とする、強固なピラミッド構造が今も残っています。

予算もスケジュールも厳しく、フリーランスで活動する俳優が多いため、監督の「OK」一つがそのまま俳優のキャリアに直結してしまう。

監督は神様」「現場では絶対服従」という暗黙のルールが長年まかり通ってきた結果、パワハラやセクハラが見えにくい形で日常化しやすい土壌が作られてきたのです。

 

ワークショップという形式は、この権力関係をさらに強化します。

「学ぶ側」と「教える側」という構図が、すでに心理的な上下を作り出してしまうからです。

では、なぜ長い間、被害者の声は無視され続けてきたのでしょうか。

答えは「告発したら終わり」という恐怖にあります。

業界は狭く、関係者同士のつながりも濃い。

実名で告発すれば仕事を失うだけでなく、「問題を起こした人」というレッテルを貼られる可能性がある。

さらに、たとえ告発しても「不倫だったのでは」「合意があったのでは」と矮小化される風潮が長く続いてきました。

2022年に週刊文春が報道を始めるまで、匿名の告発は何度も潰されやすい状況が続いていたのです。

 

こうした構造が被害を見えなくしてきた、という現実は重く受け止める必要があるでしょう。

「覚悟はあるか」「パンツを脱げ」という言葉は、聞いただけでも不快で、暴力的な響きがあります。

しかしこれらの言葉が特に危険なのは、「仕事の文脈」に包まれていたからです。

「俳優として本気でやっていくなら、体を張ることも必要だ」という圧力として機能し、拒否することを「覚悟不足」「プロ意識の欠如」にすり替える。

被害者が感じた「殺されるかもしれない」「殴られるかもしれない」という恐怖は、大げさではなく、密室の中で圧倒的な権力を持つ人間と二人きりになったときの、本能的な恐怖反応だったと言えるでしょう。

「抵抗したら何が起こるか分からない怖さがあった」という証言は、その場の息詰まるような空気を伝えています。

そして「被害を与えてもいい人間として扱われたことが一番の傷」という言葉は、暴行そのものより深く、長く残る傷を示しているのではないでしょうか。

#MeToo運動が世界中に広がって以降も、日本ではフリーランスを守る法整備が十分ではありませんでした。

雇用契約がなければ、ハラスメントの申告先もなく、被害を訴えても「業務上の指導の範囲」と片付けられやすい。

この事件は、そういった制度の穴を突くように繰り返されていたのです。

「自分には関係ない世界の話」と思いたくなる気持ちもわかりますが、同じ構図は芸能界以外にも確実に存在しているのかもしれません。

SDカードに記録されたAV脳の性搾取

「演じる」という行為は、人間の感情を深く掘り下げる作業です。

そのために俳優は、演出家や監督を信頼し、時に自分の内側を大きく開いていく。

その「信頼」を逆手に取った行為が、この事件の核心にあります。

被告が自宅に保管していたSDカードには、約50本のわいせつ動画が記録されており、10人以上の女性が写っていたとされています。

行為中の録音や動画撮影が常習的に行われており、検察はその常習性と計画性を強く強調しました。

被告自身は法廷で「プレイの一環」「カメラ撮影に興奮を覚える」「監督と女優という持ってはいけない関係に背徳感を感じる」と供述しており、その言葉はあまりにも自己陶酔的で、聞く者を絶句させるものでした。

「背徳感を感じる」と自覚しながらやめなかった、というところに、この人物の本質が透けて見える気がします。

①「俳優の覚悟」を人質にする手口

被告が被害者を追い詰めるために使ったのは、暴力や脅迫よりも、もっと巧みな言葉でした。

ワークショップやオーディションの場で「俳優としてやっていく覚悟はあるのか?」と問いかけ、拒否をした場合は「本気じゃない」「覚悟が足りない」と決めつける。

この手口の恐ろしいところは、仕事への期待と情熱を持っていればいるほど、逃げ場がなくなっていく点です。

「役が降ろされるかもしれない」「この監督に嫌われたらキャリアが終わる」という葛藤が、被害者の判断を縛っていきます。

「演技のためなら何でもやる覚悟があるか」という問いは、演技指導の文脈に溶け込んでいるため、おかしいと感じながらも「これが普通なのかもしれない」と思わせてしまう怖さがあります。

夢を燃料にした、精巧な罠。

そう表現するしかないような手口だったのではないでしょうか。

 

②密室に呼び出すための巧みな口実

「初めての出演で不安もあるだろうから、一度練習しておこう」「事務所に来て」という言葉で、被害者はマンションやホテルの一室へと誘導されていきました。

「演技指導」という言葉はオールマイティな免罪符として機能し、「自慰行為のリハーサル」や「ヌード確認」といった行為が「役のため」「プロとして当然のこと」という文脈で正当化されていきます。

密室に入ってしまえば、そこはもう被告の支配空間です。

外から見えない、声も届かない、そして「逃げたらキャリアが終わる」というプレッシャーが壁のように立ちはだかる。

その状況を事前に計算し、着々と準備していたとすれば、これは衝動的な犯罪などではなく、計画的な搾取の繰り返しだったと言わざるを得ません。

「演技指導」という言葉の響きが、今後ずっと違って聞こえてしまいそうです。

 

③拒否すれば「評価を下げる」という無言の圧力

被告は直接「拒否したらキャスティングしない」とは言わなかったかもしれません。

しかしその必要もなかったのです。

監督という立場そのものが、すでに「拒否=キャリア終了」を意味する圧力として機能していたから。

フリーランスの俳優にとって、仕事の不安定さは常につきまといます。

「次の仕事はどこから来るかわからない」という状況の中で、目の前の監督を怒らせることは、言葉にならない恐怖です。

「悪い評価がつく恐怖」で沈黙してしまう心理は、決して弱さではなく、構造が生み出した必然的な反応だったのではないでしょうか。

この「無言の圧力」こそが、業界の不安定な雇用体制と絡み合って、加害をより深刻にしていたと思います。

声を出せない状況を意図的に作り出していた、ということです。

④被害者を「物」として扱うAV的な思考

被告の供述調書から法廷で読み上げられた言葉は、衝撃的な内容でした。

「雑に女優を扱うことに興奮を覚える」「誰の肉◯隷だよ?」「おもちゃになれ」「ピ◯ク映画の主演やれよ」など、まるでフィクションの世界の「演出」をそのまま現実に持ち込んだような言葉が並んでいます。

避妊なし、録音、動画撮影という行為のパターンも、支配欲を満たすための「儀式」のように機能していたと検察は指摘しています。

AVやピンク映画のような「演出された性的支配」は、撮影現場において出演者全員の合意のもとで成立するフィクションです。

それを、同意のない現実の人間関係に持ち込んだ瞬間、それはもうフィクションでも演技でもなく、ただの犯罪です。

「監督と女優という持ってはいけない関係に背徳感を感じる」という供述は、被告自身が「これは許されないことだ」と認識しながら、その背徳感を快楽に変換していたことを示しています。

フィクションと現実の区別がつかなくなった、あるいはつけようとしなかった思考回路。

これほど身勝手で自己陶酔的な発想は、なかなか言葉で表現しきれないほどの気持ち悪さがあります。

 

⑤「男女の関係だった」という卑怯な言い逃れ

被告は法廷で「自然と抱き合うことになった」「お互い男と女になっている中での行為」「監督の立場を利用していない」と主張し続けました。

被害者たちが「同意はなかった」「脅迫された」と証言しているにもかかわらず、です。

「男女の関係だった」という主張は、加害者がよく使う逃げ道のひとつです。

権力差のある状況下での「同意」が、本当の意味での自由な同意とは言えないという視点を、意図的に無視した言い方です。

これは法廷での主張であるだけでなく、被害者たちの証言を再び否定する行為でもあります。

つまり、二次加害です。

裁判所はこの主張を退け、実刑判決を言い渡しましたが、被告が最後まで責任を認めなかったという事実は、被害者たちの心にどれほどの傷を残したか、計り知れません。

「認めない」ことで自分を守ろうとする姿勢が、被害者をもう一度傷つけている、ということを加害者本人はわかっているのでしょうか。

被害者たちの声を上げた戦い

今回の実刑判決は、ある日突然に実現したものではありません。

声を上げることで何かを失うかもしれない、でも黙っていれば次の被害者が出るかもしれない。

そんな葛藤を抱えながら、告発に踏み切った女性たちの長い戦いの末にたどり着いた結果です。

2024年の逮捕から2026年の判決まで、この道のりは決して短くありませんでした。

彼女たちの勇気がなければ、この判決はなかったと断言できます。

①週刊誌告発から逮捕に至るまでの執念

この事件の発端として大きな役割を果たしたのは、俳優の石川優実さんです。

2022年2月、石川さんはブログで匿名の映画監督による性被害を告白。

それを受けて2022年3月、週刊文春が榊英雄の実名を報じ、女優4人の証言を掲載しました。

以降、睡蓮みどりさんをはじめとする複数の女性が追加で告発し、文春の報道などで告発が相次ぎ、未遂を含め数十人に上るとの指摘もあります。

報道が始まってから逮捕まで約2年。

その間、文春の執念ある取材と、被害者たちが互いに連帯し証言を積み重ねたことが、2024年2月20日の逮捕(その後複数回逮捕)につながりました。

「告発しても何も変わらないのでは」という諦めが漂う社会の空気の中で、それでも声を上げ続けた人たちの存在なしには、この判決はなかったと思います。

一人の声が、少しずつ社会を動かしていくこともあるのだと、この事件は改めて教えてくれます。

 

②動画50本という異常な余罪の可能性

被告の自宅から押収されたSDカードには、約50本のわいせつ動画が記録されていました。

映っていた女性は10人以上とされており、今回の起訴内容に含まれない被害者が多数存在する可能性があります。

判決はあくまで起訴された女性2人への犯行に限定されたものですが、SDカードが示す「繰り返しの構造」は、検察が懲役10年を求刑した大きな根拠のひとつだったと考えられます。

余罪については引き続き捜査の可能性が残るものの、判決が起訴分2人に限定されているのが現状です。

50本という数字が持つ重みは、これが「たまたまの過ち」ではなく、何年もかけて積み重ねられた行為だったことを、無言で物語っています。

この数字を見て、胸が重くなった人は少なくないのではないでしょうか。

 

③「業界の恥」と断じる関係者たちの苦悩

事件が報じられると、業界内部からも批判の声が上がりました。

脚本家の港岳彦氏やカメラマンの早坂伸氏が実名で批判の意を表明し、映画業界の団体であるJapanese Film Projectも「断じて許されない」という声明を出しています。

関係者たちの言葉に共通するのは、「業界の恥」「自浄作用が必要だ」という苦悩です。

「知らなかった」で済まされてきた時代は終わった、という認識が、少しずつ業界内に広がってきているのかもしれません。

ただ、声明を出すことと、実際に現場の文化を変えることは、まったく別の話です。

この事件をきっかけに、ハラスメント防止のガイドライン強化や、フリーランス俳優を守る仕組みの整備が本当に進むかどうか、これからも注視していく必要があるでしょう。

言葉だけで終わらせてほしくない、というのが率直な気持ちです。

④「同意」の定義をアップデートさせた意義

この裁判が持つ法的な意義のひとつは、「同意」の定義を問い直した点にあります。

日本では2023年に刑法が改正され、不同意性交等罪が新設されました。

従来の「抵抗できない状態(抗拒不能)」という概念に加え、「立場や関係性を利用した心理的圧力」によって同意が奪われた場合も、犯罪として認められやすくなっています。

今回の判決は、「監督と駆け出し俳優という圧倒的な立場の差を利用した」点を明確に認定しました。

これは、「嫌とは言っていなかった」「抵抗しなかった」という加害者側の言い逃れが、今後通用しにくくなってきていることを示しています。

「合意があった」という主張が法廷でどんどん崩されていく流れは、日本の#MeToo運動における一つの象徴的な判決として記憶されていくのではないでしょうか。

同意とは何か、を社会全体で問い直すきっかけになってほしいと思います。

 

⑤判決8年を「甘い」と感じる国民の倫理観

判決が報じられると、SNSには「8年は軽すぎる」「被害者の人生への影響を考えたら釣り合わない」という声があふれました。

この感覚は、感情的な反応ではなく、ある種の正直な倫理観から来ているのだと思います。

PTSDを抱えながら生きていくこと、キャリアを奪われたこと、実名告発という重大な決断を迫られたこと、そのすべての重みと「懲役8年」という数字を並べたとき、多くの人が「割に合わない」と感じるのは、ごく自然なことではないでしょうか。

求刑10年に対して2年減の8年という判決は、裁判所なりの判断の結果ですが、被害者の人生に寄り添う視点からすれば、納得しきれない部分が残るのも事実です。

しかも被告側は即日控訴を表明しており、この先さらに刑期が変わる可能性も残っています。

「まだ終わっていない」という感覚を持ち続けることが、被害者たちへの最低限の連帯になるのかもしれません。

この事件が私たちに突きつけているのは、「演技指導」や「キャスティング」という名の下に、どれだけ多くのことが見えないまま行われてきたか、という問いです。

映画やドラマを楽しみながら、その裏にある現場の権力構造について少し意識を向けることは、エンタメを「消費」するだけでなく、作られた文化に目を向けるということでもあるのかもしれません。

石川優実さんをはじめ、自分の名前と顔を出して告発した女性たちの勇気は、今後の業界のあり方を変える礎になったはずです。

8年という刑期に納得できなくても、「この判決は社会を変えるきっかけになった」と言える未来を、私たちも一緒に作っていければと思っています。

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